日本エアシステム(JD/JAS)・ハーレクインエア(JH/HLQ)
以前は東亜国内航空と呼ばれていましたが、ソウルへの国際線開設を機に、社名が日本エアシステムになりました。機材はワイドボディ機がA300とB777、ナローボディ機にMD-81やMD-90を運航していました。俗に「航空憲法」などといわれた「45-47体制」時には国からローカル線担当にされましたが、この体制が終わってからは国内幹線にも積極的に参入、日本の航空会社は3大手で、それなりに競合していたわけですが、日本航空が生き残りのために統合、その後は合理化のために日本エアシステムが築いたローカル便はほとんどなくなってしまいます。今となっては何のための統合だったのだろうとも思ってしまいます。 2021年4月記
日本エアシステムのMD-90、JA8070は日本航空へ移籍、その後デルタ航空へ売却されました。展望デッキより。(2004年8月13日 新潟KIJ) 2020年6月記        日本エアシステムのA300‐600R、JA012Dが羽田へ出発。日本航空へ移籍しましたが、マキシマム・エアカーゴへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより。(2004年8月2日 松山MYJ) 2020年7月記 日本エアシステムのA300-600R、JA8564が羽田へ出発。日本航空へ移籍しましたが、EATライプチッヒへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより。(2004年3月19日 広島HIJ) 2020年9月記 
日本エアシステムのMD-90、JA8064が出発。この機体は日本航空となりましたがデルタ航空へ売却されました。国際線ターミナルの展望デッキより。(2004年1月2日 名古屋NGO) 2020年9月記                日本エアシステムのB777-200、JA010Dが出発。この機体は日本航空となりました。展望デッキより。(2003年12月12日 熊本KMJ) 2021年3月記                 日本エアシステムのMD-90、JA006Dが出発。この機体は日本航空となりましたがデルタ航空に売却されました。展望デッキより。(2003年12月12日 熊本KMJ) 2021年3月記                 
日本エアシステムのA300-600R、JA8529が出発。この機体は日本航空となりましたが、EATライプチッヒへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより。(2003年12月12日 熊本KMJ) 2021年3月記 日本エアシステムのB777-200、JA8977が出発。この機体は日本航空となりましたがアメリカのリース会社に売却されました。展望デッキより。(2003年12月15日 伊丹ITM) 2021年3月記                  日本エアシステムのMD-87、JA8279が間もなく離陸。この機体は日本航空となりましたが、タイのワン・ツー・ゴーへ売却されました。展望ホールより。(2003年8月4日 関西KIX) 2021年4月記                
日本エアシステムのA300-600R、JA8527が羽田へ出発。この機体は日本航空となりましたが、EATライプチッヒへ売却され貨物機に改造されました。空港に隣接する展望所より。(2003年7月28日 旭川AKJ) 2021年4月記  日本エアシステムのA300-600R、JA8527が羽田へ出発。この機体は日本航空となりましたが、EATライプチッヒへ売却され貨物機に改造されました。空港に隣接する展望所より。(2003年7月28日 旭川AKJ) 2021年4月記   日本エアシステムのMD-81、JA8496が到着。東亜国内航空からの機体で、日本航空となりましたが、アメリカのアレジアント・エアへ売却されました。展望デッキより。(2003年7月28日 旭川AKJ) 2021年4月記          
日本エアシステムのMD-90、JA8069が八甲田山をバックに到着。この機体は日本航空となりましたがデルタ航空へ売却、その後引退しました。展望デッキより。(2003年5月13日 青森AOJ) 2021年6月記                 日本エアシステムのA300-600R、JA8559が八甲田山を左手に着陸。この機体は日本航空となりましたが、EATライプチッヒへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより。(2003年5月13日 青森AOJ) 2021年6月記 日本エアシステムのA300、JA8471が離陸。この機体は東亜国内航空時代からのもので日本航空となりましたが、イランのマ―ハーン航空へ売却されました。展望デッキより。(2003年2月1日 広島HIJ) 2021年7月記      
日本エアシステムのA300‐600R、JA8375が出発。この機体は日本航空となりましたが、ドイツのEATライプツィヒへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより。(2003年1月11日 鹿児島KOJ) 2021年7月記           ハーレクインエアのMD-81、JA8552が出発。この機体は元日本エアシステムで、日本航空、JALエクスプレスとなりましたが、オリエント・タイ航空へ売却。展望デッキより。(2003年1月11日 鹿児島KOJ) 2021年7月記 日本エアシステムのMD-81、JA8261が出発。この機体は日本航空となりましたが、アメリカのアレジアント・エアへ売却されました。展望デッキより。(2003年1月11日 鹿児島KOJ) 2021年7月記 
日本エアシステムのMD-90、JA001Dが出発。この機体は日本航空となりましたが、デルタ航空へ売却されました。展望デッキより。(2003年1月11日 鹿児島KOJ) 2021年7月記   日本エアシステムのA300‐600R、JA8574が出発。この機体は日本航空となりましたが、ドイツのEATライプツィヒへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより。(2003年1月17日 長崎NGS) 2021年7月記            日本エアシステムのMD-81、JA8557が間もなく出発。この機体は日本航空となりましたが、アメリカのアレジアント・エアへ売却されました。(2003年1月17日 長崎NGS) 2021年7月記            
日本エアシステムのMD-90、JA8066が間もなく離陸。この機体は日本航空を経てデルタ航空へ売却されましたが引退しました。(2002年12月22日 宮崎KMI) 2021年11月記    日本エアシステムのMD-90、JA004Dに乗って関西へ向かいます。この機体は日本航空を経てデルタ航空へ売却されましたが、引退しました。(2003年8月23日 羽田HND) 2021年12月記     日本エアシステムのMD-90、JA004Dに乗って羽田から関西へ向かっています。この機体は日本航空を経てデルタ航空へ売却されましたが、引退しました。(2003年8月23日) 2021年12月記     
日本エアシステムのMD-90、JA004Dが間もなく離陸。この機体は日本航空を経てデルタ航空へ売却されましたが、引退しました。展望ホールより。(2003年8月23日 関西KIX) 2021年12月記       日本エアシステムのB777-200、JA008Dが到着。この機体は日本航空を経て引退しました。展望デッキより。(2002年7月25日 伊丹ITM) 2022年1月記        日本エアシステムのMD-81、JA8262が出発。この機体は日本航空、さらにJALエクスプレスとなり、アレジアント・エアへ売却されましたが引退しました。展望デッキより。(2002年7月10日 新千歳CTS) 2022年1月記
ハーレクインエアのMD-81、JA8552が出発。この機体は元日本エアシステムで、日本航空、JALエクスプレスとなりましたが、オリエント・タイ航空へ売却されました。展望デッキより。(2002年7月10日 新千歳CTS) 2022年1月 日本エアシステムのB777-200、JA8978が到着。この機体は日本航空を経て引退しました。展望デッキより。(2002年7月17日 新千歳CTS) 2022年1月記         日本エアシステムのA300-600R、JA8476が到着。東亜国内航空時代からの運航、日本航空を経てアメリカのリース会社に売却されましたが引退しました。立体駐車場より。(2002年5月30日 羽田HND) 2022年1月記         
日本エアシステムのA300-600R、JA8562をトーイング。この機体は日本航空となりましたが、EATライプツィヒへ売却、貨物機に改造されました。ターミナル1の展望デッキより。(2002年5月29日 成田NRT) 2022年1月記 日本エアシステムのMD-81、JA8260が出発。東亜国内航空時代からの機体で、日本航空、JALエクスプレスを経てアメリカのリース会社へ売却されました。展望デッキより。(2002年4月5日 新潟KIJ) 2022年2月記  日本エアシステムのA300-600R、JA8559が羽田から到着。この機体は日本航空となりましたが、EATライプチッヒへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより。(2002年3月12日 小松KMQ) 2022年2月記 
日本エアシステムのMD-87、JA8278が到着。この機体は日本航空を経てタイのワン・ツー・ゴーへ売却されましたが引退しました。展望デッキより。(2002年3月5日 秋田AXT) 2022年2月記   日本エアシステムのA300-600R、JA8561が羽田へ出発。この機体は日本航空となりましたが、EATライプチッヒへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより。(2002年1月8日 宮崎KMI) 2022年2月記   日本エアシステムのMD-81、JA8260が出発。東亜国内航空時代からのもので、日本航空、JALエクスプレスを経てアメリカのリース会社へ売却後に引退。展望デッキより。(2002年1月8日 宮崎KMI) 2022年2月記   
日本エアシステムのA300-600R、JA8558が羽田へ離陸。この機体は日本航空となりましたが、EATライプチッヒへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより。(2002年1月11日 大分OIT) 2022年2月記    日本エアシステムのMD-90、JA005Dが到着。この機体は日本航空を経てデルタ航空へ売却されましたが引退しました。展望デッキより。(2002年1月11日 大分OIT) 2022年2月記     日本エアシステムのMD-90、JA001Dが出発。この機体は日本航空を経てデルタ航空へ売却されましたが引退しました。展望デッキより。(2001年8月22日 青森AOJ) 2022年8月記     
日本エアシステムのMD-81、JA8295が到着。この機体は日本航空を経てアメリカのアレジアント・エアへ売却、その後引退しました。北側の展望デッキより。(2001年4月16日 那覇OKA) 2022年11月記       日本エアシステムのA300、JA8471が到着。東亜国内航空時代からのもので、日本航空を経てマ―ハーン航空へ売却されましたが引退しました。北側の展望デッキより。(2001年4月18日 那覇OKA) 2022年11月記        日本エアシステムのA300‐600R、JA8573が着陸。この機体は日本航空となりますが、EATライプツィッヒに売却されて貨物機に改造されました。北側の展望デッキより。(2001年4月19日 那覇OKA) 2022年12月記        
日本エアシステムのA300、JA8466が到着。この機体は東亜国内航空時代からのもので、さまざまな航空会社を経た後に引退しました。。国内線ターミナルの展望デッキより。(2001年3月23日 名古屋NGO) 2023年1月記 日本エアシステムのMD-81、JA8554が出発。この機体は日本航空、タイガー・エアクラフト・トレーディングを経てレイサーへ売却された後に引退しました。展望デッキより。(2001年3月24日 新潟KIJ) 2023年1月記        日本エアシステムのMD-81、JA8554が日本海を左手に離陸。この機体は日本航空などを経てベネズエラのレイサーへ売却された後に引退しました。展望デッキより。(2001年3月24日 新潟KIJ) 2023年1月記        
日本エアシステムのA300-600R、JA8558が羽田から到着。この機体は日本航空となりましたが、EATライプチッヒへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより。(2001年1月13日 高松TAK) 2023年4月記     日本エアシステムのA300-600R、JA8565が出発。この機体は日本航空となりましたが、EATライプチッヒへ売却され貨物機に改造されました。展望デッキより窓越し。(2001年1月17日 福岡FUK) 2023年4月記      日本エアシステムのMD-81、JA8557が出発。この機体は日本航空となりましたが、アメリカのアレジアント・エアへ売却されました。展望デッキより窓越し。(2001年1月17日 福岡FUK) 2023年4月記